私は「マルファン症候群」です。
これがなにやら面倒な病気なのですが。。。
ともあれ、私は50歳まで生きて、まだ生きるつもりでいます。
そして何を思ったか、大のSNS嫌いを自認する私が、ブログを始めました。
「マルファンの50歳ってこんな感じ」「こんなことしながら生きてる」って発信したいと思って。
当然ですが、この病気の症状、治療方法、それらの受容は、患者それぞれなんだと思うんです。
ですから、このブログでは、マルファン症候群の病状、治療などに踏み込んだ表現はいたしません。
「私はこんな感じなんですよ」ってことだけをお伝えします。
マルファン症候群に関しても、たくさんの情報があふれています。
それに触れ、患者は落ち込んだり、傷ついたり、恐れたりすることもあるんですが、私はその都度、合理的な判断を選択し続けるしかないのかなって思っています。
なので、病気のこと、大事なことはお医者さん、医療機関に相談してください。
「マルファン症候群の50歳、わたしはこう生きてる!」このブログで表現するのはこれだけです。
大動脈解離は突然に?
「突然」胸や背中に激痛が走り、バリバリと音をたて体が引き裂かれるような感覚
あまりの激痛に失神する方もいるという…
なんとも恐ろしい言葉で表現される病気、大動脈解離。
筆者は36歳の夏(2012年)大動脈解離を発症しました。
大動脈解離の発症自体は「突然」でした。
とはいえ、今思えば前兆のような体調不良があったり、バリバリと引き裂かれる感覚はなかったり、冗談が言える程度の意識はあったりと。
「個人差」ってありますからね…ということでしょうか。
なので、
あくまで「筆者の場合の大動脈解離」ということになりますが、大動脈解離で命を落とす方もたくさんいらっしゃいますので、誰かの、何かのお役にたてればと思い、記事にします。
忘れてしまう前に。
私が命をつなげたのは、倒れた時間が日中で、倒れた場所がオフィスで、さらに、弁当を食べていた総務部長が救急車を呼んでくれて、適切な救命処置を受けることができたから。
むしろ、私は運よく助かった側です。
もろもろに感謝込めて、経験談をお伝えしたいと思います。
倒れる前の健康状態
筆者が大動脈解離を発症したのは2012年8月31日(金)
当時筆者は36歳、妻あり(妊娠9か月!)、子なし。
仕事は建設コンサルタントの営業職。
しかし、当時はいわゆる建設業冬の時代の末期でした。
公共工事削減、リストラ、民事再生、からの二度目の民事再生、からの倒産。そして債権者集会…
暗い言葉が多かったですね。
喫煙なし、飲酒なし、持病なし、標準体重。4か月前の健康診断でも特に指摘なし。
が、しかし、
発症の2か月ほど前から、異常に疲れやすく朝から疲れているという感覚はありました。
食欲、睡眠に変化はありませんでしたが、肩こりが日に日につらくなるという自覚はあり、しっぷ、お灸、内服薬、健全なマッサージとセルフケアでやり過ごす日々。
なんとなく、「大人になるってこういうことかな」って。
そう思っていました。
体の異常が顕著になるのは発症の1か月ほど前。
駅の階段を上るだけで息苦しくなり、上りきるころには体に力が入らない状態に。
重い荷物を運んだり、気温の高い中で活動すると、息切れや動悸をおこすように。
さすがに筆者も違和感を覚えました。
これは、あれだ、「夏バテだ」と。
特に思い当たる病気もない筆者は、「夏バテだ、夏バテの末期症状だ」と決めつけ、様子をみることにしました。
筆者は自分がマルファン症候群であることも、そのような病気があることも知りませんでした。
夏バテなんかじゃない!
極度の倦怠感を夏バテと思い込んでいた筆者
しかし、実際には夏バテなんかではなかったのです。
発症した週には、通勤の最寄り駅まで歩くだけで座りたくなるほどに体が重く、仕事で炎天下の屋外に出たときは、例えば、熱湯の中をおぼれているような全身の倦怠感を感じていました。
さらには、いわゆる動悸。
心臓が口からはみ出すのではないかという感覚がありました。
週末、どっか、病院行こかな?
遅すぎ、さらに、鈍感すぎた筆者でした。


大動脈解離を発症までの過程
2012年8月31日(金)12時過ぎ
筆者は勤務先で急性大動脈解離を発症しました。
当日、筆者は13時にせまったお客様との商談に向け、わりと丁寧で分かりやすく、高クオリティな資料を作成していました。
12時をまわった事務所で、筆者は一人、キーボードを連打し血圧を急上昇させていました。
おおっ!、終わった。ぎりだった。
客先までは急行電車で20分。資料をプリントアウトしたら出発だ!
さっそうと椅子から立ち上がった、
その瞬間!
当然のように見積書がデスクの隅間から床に落下します。
大きな体を折り曲げてデスクの下に潜り込みます。
無理な体制をとったことで、さらに血圧は上昇(おそらく)
やっとのことで見積書を拾い上げ、プリントアウトした資料を取りに複合機へ。
立ち上がり、二歩、三歩あるいた…
その瞬間!
大動脈解離の発症!
「みぞおちのあたりからのど元に向かって、焼けるような痛みが上がってくる!」
なんだ!
これは!
そうだ!
胃潰瘍だ!(筆者は20代の中ごろに胃潰瘍を経験していました)
間違いない。
あー、これはいかんやつだ。
商談中止してもらうか、いや、せっかく資料間に合ったし、行くか。
いや、逆に、しばらく仕事休めるか。
よし、とりあえずなんか飲むか。
まだ、筆者はのんきに構えていました。
一方、体の方は、脂汗が出てきたような、なんとも不快、なんとも脱力感が襲ってきます。
休憩室に行き、飲み物を探すがアイスコーヒー一択。
胃潰瘍だし、これ、飲まないほうがいいかも。
この間も食道と思われる場所に、焼けるような痛みが襲っています。
この時点で自分の心臓の音が異常に体に響いていることに気づきました。
そして、なにより息苦しい。
全身に力が入らない。そして、立っていられない。
寝るか。
律儀にも自分のデスクまで戻り、床に寝転びました。
倒れるほどではなく、ゆっくりと寝転ぶ感じ。
「おーい、どうしたー、救急車呼ぶかー?」
弁当を食べていた総務部長でした。
筆者「あ、なんかすいません。お願いします。たぶん胃潰瘍かなんかっす」
その後も意識ははっきりありました。
ただ、みぞおちからのど元までの焼けるような痛み、全身の脱力感を通り越した麻痺にも似た感覚、意識的に大きな呼吸をしないと、どうにかなってしまうような息苦しさはありました。
そう、これは胃潰瘍ではなく、大動脈解離の発症でした。
救急搬送と医療従事者への感謝
当時、筆者の職場は南関東の某市でした。
某市の人口は50万人超と、そこそこのビックシティです。
おかげで、救急車に収容されるまで20分程度、受け入れ病院に到着するまで40分程度。
意識はあり、担架で運んでくださった救急隊員に「重くてすみません」と言った記憶も。
1か所目の受け入れ病院でCT検査を受け、明らかに医師、看護師さんの反応があわただしくなる雰囲気を察知。
筆者 「胃潰瘍かなんかですかねー」
医師 「胃潰瘍より、もうちょっと重篤かもしれませんねー」
「とりあえず、もう少し規模の大きい病院に受け入れをお願いしています」
看護師「ご家族と連絡取れますか?」
筆者 「はいー。妻は妊娠中なので、母親に連絡しときます」
「しばらく仕事は休めそうだな」正直、この時点ではそんな認識でした。
しかし、2か所目に受け入れていただいた病院では、鈍感な筆者の目を覚ますかの如く、たくさんの医療従事者さんが手際よく「救命処置」を施してくれるのでした。
看護師 「筆者さん、今は体を動かせないので、おズボン、はさみで切らせていただきますね」
医師 「筆者さん、ご家族や親類に、心臓の病で亡くなった方はいませんか?」
「ご家族、親族に高身長の方はいらっしゃますか?」
筆者 「いないと思いますー、でかいのは私だけですー」
医師 「筆者さん、身長は?体重は?」
「筆者さん、手首の周り測らせていただきますねー」
「筆者さん、視力が落ちたのはいつからですかー」
あっというまにCT検査室へ。(今度は造影剤を使った検査)
筆者は集中治療室なるところへ、家族は病院へと向かっていたのでした。

以上があくまで筆者の場合の大動脈解離の経験談です。
いくつかの幸運が重なって最悪の結果は免れることができました。
いずれ入院編もお届けしたいですね。
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